2017年2月 8日 (水)

戦前・戦中の日本の国家主義と“ポピュリズム”

 ポピュリズム(populism)とは、一般大衆の利益や願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに、エリート層である国家・体制側、知識人などと対決しようとする政治思想、または政治姿勢のことであるようだ。日本語では大衆主義や人民主義などのほか、否定的な意味を込めて大衆煽動主義などとも訳されている。また、同様の思想を持つ人物や集団をポピュリスト(populist)と呼び、民衆派や大衆主義者、もしくは大衆煽動主義者などと訳されている。

 前回、第5回のSOAM(国際本部での勉強会)では、日本における過去のポピュリズムの状況と、ポピュリズムという定義が、現在の安倍政権にあてはまる部分と、そうでない部分があるということを確認したうえで、現在の安倍政権には、国家性善説にもとづいた国家主義的な政治姿勢が見られ、この安倍政権の方針が拡大していけば、超国家主義的な道を歩む危険性があることが指摘された。また、このような今日的状況は、戦前戦中の日本のように国家(政府・軍部)がマスコミへ圧力をかけて情報を操作し、大衆を煽動したポピュリズムとも共通するものであると云う説明もあった。

1.国家主義や全体主義がポピュリズムに合致する点

 今回のテーマは、戦前・戦中の日本の国家主義や全体主義と“ポピュリズム”の関係についてであるが、戦前・戦中の政府や軍部の行動には、当時の日本国民の天皇への忠誠心や愛国思想を利用し、一方的な情報操作によって日本国家全体を戦争へと駆り立てたという“ポピュリズム”の傾向が見られると思う。

 戦前・戦中の日本に於いては、既成政党(政友会・民政党等)や財閥は基本的に軍縮・平和外交志向であったが、しだいに軍部との癒着が強まり、国内の多くの貧困層や労働者のために、福祉や教育、労働条件の改善を図ることは軽視され、社会改革を進めるには至らなかったのである。また、このような状況の打破を目指した当時の若手官僚や社会活動家、思想家、宗教者なども、政治・経済体制の改革刷新を求めつつも、強大な軍事力を背景にして全体主義に向かっていた、当時の軍部に迎合して行ったのではないだろうか。
 具体的には、軍の一部青年将校が起こした5.15事件(昭和7年)や2.26事件(昭和11年)のような軍事クーデターは鎮圧されたが、それ以後、天皇の統帥権を盾にした軍部が国民大衆の支持を得て、軍部による煽動的な政治(全体主義)が進行していくことになったのである。
 結局、平和(現状維持)か改革かの二者択一の中で、軍事行動も辞さないとする軍部が優勢となり、国民全体の雰囲気も全体主義の方に煽られていき、欧米列強との衝突(戦争)へとつながったのである。

2.国家主義や全体主義がポピュリズムに合致しない点

 国家主義・国粋主義(Japanese nationalism)という語は、日本では、当初、戦前の政教社の三宅雪嶺や志賀重昂らによって使われ、愛国心や愛郷心で国民意識の統一と発揚をはかる思想や運動のことで、保守的な思想の一つとされている。彼らは、日本の伝統・文化の優秀性を見直し、当時の西洋化一辺倒の社会風潮に逆らい、日本文化を西欧文化と等しく見直そうとしたのである。

 この国家主義は、明治維新に始まる極端な西欧文明の流入に警笛を鳴らしており、政府の政策を欧化主義として非難したもので、日本国の文化や歴史、伝統を尊ぶことを主張している。また、国家の象徴としての万世一系の天皇をいただく日本の国家体制を支持し、その優秀性と普遍性を強調する国体論が主となっているのである。
 明治維新以降の日本が、立憲君主国家として日本古来の文化・伝統を維持しつつ、西洋諸国と肩を並べ対等に交流できることをめざして、国を挙げて近代化を進めてきたことを評価するならば、明治以降(戦前)の国家主義を一概にポピュリズムと云うことはできないだろう。

 また、戦前・戦中の全てが軍部指導の国家主義・全体主義一色だったというのは戦後史観の誤りであり、明治以降の日本は、大日本帝国憲法(明治憲法)の下で立憲君主制に基づく民主主義国家を理想としてきたのである。例えば、天皇の大権はあくまで象徴的なもので、軍部による独裁体制に入る前までは、議会主義が機能していたのであ。その証拠に、戦後の社会党や民社党の源流である社会民主主義政党(社会大衆党)も一定の議席を得ていたのである。

 さらに、ポピュリズムについて調べていくと、石橋湛山(1884~1973)元首相の情報を得ることができた。石橋湛山元首相は、山梨県出身の評論家・政治家で、東洋経済新報社社長を経て、第1次吉田内閣の蔵相、その後、短期間ではあるが自由民主党総裁を務めている。彼は戦前において「小日本主義」を唱えるなど、自由主義的論陣を張り、戦後も日中・日ソの交流に尽力しているのである。
 戦前・戦中、国内世論が軍部の煽動にあおられ、戦争拡大(大東亜共栄圏構想)に向かっているとき「植民地を捨てよ、領土拡張は必要ない…」と主張している。事実、日本は軍部の煽動で植民地を拡大した。しかし、結果的に敗戦し植民地を失ってしまった。そして、戦後は通商国家(貿易国家)として復興に成功しているのであ。この石橋湛山元首相の事例などは、戦前・戦中の日本に於いても、ポピュリズムに合致しない側面――反ポピュリズムがあったことを証明している。

結論として: 
 戦前・戦中の日本に於いて、ポピュリズムに合致しない反ポピュリズムの側面があったことは事実である。しかし、殊に戦前は、行き詰った人口問題や国内経済を打開するという名目で、領土拡張などを進める軍部の煽動で政治が行われたことを考えると、当時の日本の体制は全体として、ポピュリズムであったと云うことができると考える。

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2017年1月27日 (金)

平成28年度(2016年度)「生活の記録表

○我が家では、平成20年(2008年)から「生活の記録表」を付けています。
 今回の「生活の記録表」は、昨年(平成28年・2016年)の年間集計です。昨年は、その前年(2015年)に比較すると、……電気使用量が<-1,444kwh>と減少し、水道使用量は<+29㎥>、ガソリン使用量は<+320ℓ>と増加しています。しかし、都市ガスと灯油を使用していないことと、電機使用量で、電力会社からの買電量に比べ、太陽光発電による電力の割合が増加したこと、また、不断の生活で“ガソリン車”を使わず、電気自動車(i-MiEV)に乗り、買い物等はほとんど自転車(電動自転車)を使用しているため、全体でCO2排出量の減少になったのだと思います。
 しかし、ガソリンの使用量が<+320ℓ>と増加しています。これは、山梨教区白鳩会の毎月の行事に出席するための交通手段として、我が家では軽自動車を使用していることが理由になっているようです。
 これらを、CO2の排出量に換算すると、全体で<-223kg>の減少となっています。

 我が家は、生長の家本部が“森の中のオフィス(ゼロエネルギービル)” へ移転したことにともない、平成26年4月初旬、東京府中市の瑞光寮から、太陽光発電設備の完備した生長の家長坂高松寮(オール電化の寮)に引っ越しました。
 このことが、昨年度(平成28年)のCO2排出量の減少になっていると思います。特に、我が家では電気自動車(i-MiEV)を購入し、また、日常生活では自転車(電動自転車)を使用して…、買い物などは極力「自転車」を使用し、地元で食品を購入(地産地消)していることが、全体のCO2排出量減少の要因となっていると思います。

 このように、全体のCO2排出量は減少していますが、車のガソリン使用量だけは増加しています。これは、妻が生長の家山梨教区白鳩会の役員をしており、教区の毎月の行事(会議や見真会・練成会の運営)などに、他のメンバーと同乗して、長坂~教化部~大泉(家族寮)間の交通手段として、移動のために、軽自動車を使用していることが理由になっているようです。
 しかし、生長の家長坂寮では、炭素ゼロをめざして「太陽光発電」によるクリーンエネルギーを使用しており、調理や入浴(風呂)をはじめ、暖房(ペレットストーブ・エアコン)、照明、車の充電等、すべてに太陽光発電による電力を使用しており、太陽光発電からの電力使用量は全体の約40%(月平均)を占めています。これらのことが、CO2排出量の減少につながっていると思われます。

※我が家の昨年(平成28年・2016年)のCO2排出量は、3,499.0kgと国内の世帯平均排出量(5,370kg)を大きく下まわりましたが、この数値に満足することなく、今年(2017年)のCO2排出量は、3,500kg以下を目標に(炭素ゼロを目指し)“自然と共に伸びる生活”-低炭素の生活-を実行していきたいと思っています。

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2016年10月 1日 (土)

谷口雅春先生の説かれた「天皇信仰」「中心帰一」の教え

 菅野完氏の著書『日本会議の研究』の291頁には、H281001_291p_5
長の家の「中心帰一」の考え方の説明として<添付資料>のようにある。しかし、ここに書かれている「中心帰一」という概念は、生長の家の教義の中心真理ではありません。

●戦前、戦中に谷口雅春先生が唱道された「天皇信仰」や「中心帰一」の教えは、生長の家の教義の中心真理ではありません。
  「天皇信仰」や「中心帰一」の教えが「唯一絶対神」「神意」への中心帰一という意味において使われている場合は、生長の家の教義の中心といえる。しかし、戦前戦中の谷口雅春先生が唱道された「中心帰一」の教えは、結果的に、平和を願う天皇陛下の真意とは異なる政府や軍部の方針へ帰一することを国民に提唱し、日本をして戦争へと突入させる原動力になったという意味で、普遍的な生長の家の教義の中心真理とはいえないのである。

 「生長の家」の教義の中心は、「唯神実相」「唯心所現」「万教帰一」の三つが代表的な真理としてあげられます。実相において、唯一絶対の創造神が存在し、人間はその全徳を継承した“神の子”であるということ、そして存在する全てものは悉く“唯一絶対神”の展開である、という真理です。
 その“唯一絶対神”が、国や民族の違い、文化的伝統の中で様々な呼称がつけられ、西洋や中東ではゴッドやアラーなどの呼び方があり、仏教では阿弥陀如来、阿閦如来など如来の名称が付けられています。また、日本古来の神道では天之御中主大神、その顕現としての高御産巣日神、神産巣日神などの造化の三神の呼称があります。
 「天皇信仰」は、日本神話に於ける宇宙の創造神である天之御中主大神と、その具体的な顕れとしての天照大御神、そして、その子孫が地上(豊葦原瑞穂の国)に降臨して現在の皇室としてつづいているという神話的世界観から生まれており、このような天之御中主大神・天照大御神と一体であり、その人格的表現(現人神)である天皇が日の本(世界)の中心であるという日本古来からの神道的な国家観を、現代の世界にそのまま敷衍することは出来ないと考えます。

 日本国においては、古来から皇室を中心としてきた長い歴史伝統があり、また現代のご皇室も常に国民の幸せと世界平和を祈られ、日本国の安定的発展と世界平和の実現に大きく貢献して来られました。また、日本においては伊勢神宮(天照大御神)への尊崇が一般化しており、国民の多くが天之御中主大神はじめ天照大御神等の神々を敬い、天皇陛下と皇室を尊崇することは極めて自然なことであり、日本に於いて「天皇信仰」が生まれている所以が、ここにあると思います。
 このことは、キリスト教の文化圏においてイエス・キリストを信仰(崇拝)し、イスラーム文化圏においてアッラーの神を絶対視し、仏教文化圏では釈尊(阿弥陀仏等)を尊崇することと同じであり、また、イギリス国においてイギリス王室を尊敬することと同様に、世界の各国各民族において、夫々の宗教的・文化的な中心に敬意を払うことと共通することと言えるのではないでしょうか。

 しかし、天皇陛下を“現人神”として絶対視し、その天皇に帰一するという「天皇信仰」を、生長の家の中心的教義とすることはできないと考えます。何故なら、現象的に“神”がそのまま顕現することは、生長の家の教義に照らしてあり得ることではないからです。人間は本来みな等しく“神の子”であることが真理です。ある特定の人物(指導者)を崇拝するような偶像崇拝的な教義を正しい宗教と呼ぶべきではないのです。ましてや、他の民族・国家固有の宗教や文化を否定してまでも、日本的な信仰を強要することは誤りであると考えます。
 ところが、戦前・戦中の谷口雅春先生のご文章、その他の聖典に記されたご文章からは「天皇信仰」や「中心帰一」の教えが、あたかも生長の家の教義の中心であり、世界の全ての国に敷衍さるべきものであると理解される場合があります。しかし、特に戦前・戦中に説かれた「天皇信仰」や「中心帰一」の説明には、天之御中主神・天照大御神と一体である日本の「天皇」が世界の中心であることが強調されていて、世界の各宗教の多様性を認める、生長の家の「万教帰一」の教義と逆行していることは明らかです。
 また、生長の家の神示である『大調和の神示』(昭和6年9月27日夜神示)にあるように、「皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ…」と説くことは、日本においてはごく自然のことであるが、クローバル化した現代において日本の皇室のみを神聖視することは適切ではなく、「天皇信仰」は普遍的な生長の家の教義の中心とはいえないと考えます。

 日本をはじめ、世界の夫々の国家や民族・宗教においては様々な伝統や文化的特性があり、その一つを以て世界の全ての国に敷衍することには無理があり、文化的、政治的な対立を生む原因となる可能性があります。そのことを教えいるのが、戦後、昭和21年1月6日に谷口雅春先生に啓示された『大和の国の神示』であると思います。

=大和の国の神示=
 われ再び大日本天津日嗣天皇と言う意味について語らん。天孫降臨と言うことは天の父のみこころが天降って、天が下ことごとくが一つの光の世界になり、大和、平和の世界があらわれると言う意味の象徴的表現である。日本民族が世界を治めるのではなく、『天孫』すなわち『天の父のみこころ』が全世界を治める時期が到ることである。これがイエスの『主の祈り』にある御心が既に成る世界の意味である。それが真の大日本世界国である。大日本世界国と言うことを狭い意味に解して、日本民族の国だなどと考えるから誤解を生ずるのである。そんなものは小日本であり、本当の大日本国ではない。(中略)
神からみればすべての人間は神の子であるから、特に日本民族のみを愛すると言うことはない。あまり自惚れるから間違うのである。大日本天津日嗣スメラミコトとは固有名詞ではない。理念の表現である。「大日本」すなわち「ひかりあまねき」、「天津」すなわち「天の父の」、「日嗣」すなわち「みこころを嗣ぎたまえる」、「スメラミコト」すなわち「天降りましたる帝王」と言う意味であるから、総じて訳せば「ひかりあまねき天の父のみこころを嗣ぎたまえる天降りましたる帝王」と言うことである。天の父のみこころが全世界に光被してあまねく平和になる世界になれば、それが本当の大和の国である。それが本当の大日本天津日嗣すめらみことの治しめし給う世界である。肉体のことではない。
(昭和21年1月6日朝の啓示による)

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2016年9月10日 (土)

『愛国と信仰の構造』(集英杜新書)-推奨します!

 Wikipediaによれば、日蓮主義とは、日本仏教における日蓮の法華経至上主義の理念を、国柱会の創設者・田中智学と顕本法華宗元管長・本多日生氏を中心に明治期に近代主義的に体系化した仏教思想ということである。H280910_jpg01_2
 親鸞主義については、社会的に明確な定義はないようだが、浄土真宗の開祖・親鸞や俳人・正岡子規に傾倒し、弟子の蓑田胸喜と共に1925年に国家主義雑誌『原理日本』を創刊した三井甲之氏(1883年~1953年)の国家主義思想に代表される主義であるようだ。
 しかし、親鸞主義の宗家と言われる真宗教団が戦時教学に対する批判的な研究を行ってきたことを考えると、親鸞主義を一概に国家主義思想と定義することはできないようだ。

1.戦前のナショナリズム・全体主義
 第2次世界大戦(大東亜戦争)の開戦時、日本とアメリカの国力を比較すると国民総生産はアメリカは日本の約12倍、すべての面で、その国力の差は歴然としていた。冷静に考えたら、戦う前からほぼ結果が予測できた戦争に、なぜ当時の日本は開戦に踏み切ったのか。そこには、圧倒的な国力の差を無視し、軍事的・経済的な国力の差を大和魂(精神)で克服するのだと精神力を強調して、戦争を主導した軍部の独走があったのは明らかだ。また、明治以降の国家主義、全体主義を至上の価値とする教育を受けていた日本国民から大きな支持があったことも事実である。さらに、当時の日本軍部は、アメリカとの絶対的な国力の差を公表することなく、皇軍必勝を宣揚して戦争に突入したのである。
  このようにして、大東亜戦争に突入した当時の軍部と日本の国民精神は、どのようにして醸成されていったのか。『愛国と信仰の構造』に書かれている「親鸞主義」と「日蓮主義」を考察する中で、皇軍必勝を信じて戦った当時の日本民族のアイデンティティーが、歴史的にも永い伝統のある宗教的信念に基づくものであることを知り、宗教が社会・国家に与える影響について、その重要性を感じた次第である。

2.『愛国と信仰の構造』にある「親鸞主義」
『愛国と信仰の構造』にある「親鸞主義」とは、天皇崇拝の超国家主義者であった蓑田胸喜の師匠である右翼思想家の三井甲之氏が提唱したもので、他力主義、つまり親鸞が説いた自力を排する「絶対他力」の教えに基づき、「阿弥陀仏の本願力」を「日本の意志」「天皇の大御心」とし、天皇の下にある日本をあるがままに認め、「日本は滅びずと信じ、祖国日本と唱えれば、永遠の幸福を得ることができる」という信仰に基づいた思想である。
 この親鸞が説いた「絶対他力」の本来の意味は、救いは阿弥陀仏の慈悲の力、他力によるものであり、信心を持つことは自力のなすところではなく、阿弥陀仏の働き、他力によって自然に発せられるということであり、そのことを「自然法爾」と言ったのである。
 この自力を徹底的に否定する「絶対他力」の思想である「親鸞主義」によって、自力で世界や日本を変革し、左翼的マルクス主義的な思想を背景に新たな世界、革新的な国家を作り上げようとした、京都帝国大学の滝川幸辰、天皇機関説を唱えていた美濃部達吉などが批判され、攻撃の対象となり、軍部による言論弾圧の風潮が強まっていったのである。

3.『愛国と信仰の構造』にある「日蓮主義」
『愛国と信仰の構造』にある「日蓮主義」とは、親鸞主義が他力依存主義であるのに対して、自力のユートピア主義であり、社会を宗教的・合理的に改造すれば、理想的な社会が実現するという改革的なユートピア思想である。そのもっとも顕著な事例が、戦前戦争中、合言葉のように盛んに唱えられた、日本民族(天皇)を中心とする世界を建設するという「八紘一宇」という言葉に基づく思想なのである。
  この八紘一宇という言葉は、「日蓮主義」という言葉を造語し、1914年「国柱会」を創設した田中智学氏が提唱したもので、「世界を一つの家にする」という意味をもっている。この「八紘一宇」の精神をもって、理想的な社会を実現しようとしたのが、国柱会の一員だった石原完爾であり、革命的な社会変革を目指した北一輝である。石原完爾は「八紘一宇」の考え方に基づいて満州事変を計画し、「五族協和」を掲げて満州帝国が建国されたのである。
  また、鎌倉時代中期、モンゴル帝国による2度にわたって行われた元寇の危機に際して、日蓮が“法華仏教”による国家救済を唱えたことからも、日蓮主義の中には仏教による国家建設のヴィジョンが含まれているといえるだろう。
 
4.「親鸞主義」「日蓮主義」の影響
『愛国と信仰の構造』を読み印象に残ることは、親鸞の浄土宗、日蓮の日蓮宗の教えを国家主義にまで発展させ、「親鸞主義」や「日蓮主義」として社会に大きな影響を与えることになった背景に、上記の三井甲之氏、田中智学氏等による宗教の“教義解釈”があったということである。これら少数の思想家の“教義解釈”によって生まれた「親鸞主義」や「日蓮主義」が、時代の思想を形成し、国家主義・全体主義を招来し、しだいに国家・国民あげての戦争へと発展していったことが明らかになったことは、政治と宗教の関係が深刻化する現代において重要な意味があると思う。

『愛国と信仰の構造』では、島薗進氏は、「戦前とパラレルに進んでいる戦後において、全体主義がやはりよみがえるのか、と問われれば、答えはイエスです。もうすでに現在の日本は、いつくかの面では全体主義の傾向を帯びている」と警鐘を鳴らしている。
 宗教に関わる争いが絶えない現代において、国家主義と信仰が結びついた現代版「親鸞主義」、「日蓮主義」が復活することのないように、我々国民一人一人が、正しい宗教的信念を持って、社会の動向を厳しく注視していかなければならないのだと思う。

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2016年8月13日 (土)

安倍政権と稲田防衛相の政治思想の誤謬

1.稲田朋美 防衛大臣の政治思想

 衆議院議員・稲田朋美氏のブログには、稲田氏の掲げる政治理念が「伝統と創造―道義大国実現のために」というテーマで次のように載っている。H280813__hptimage_3

 また、平成18年2月10日、稲田朋美氏を会長として、新人議員34名による「伝統と創造の会」が発足しましたが、その会の「設立趣意書」と発会式での稲田朋美会長の「挨拶」は、以下の内容であった。

・設立趣意書
   戦後60年を経て日本は危機的な状況にあり、これを打破し新たな繁栄を続けるために改革が求められています。先人たちは、国難に直面したとき明治維新がそうであったように、守るべき伝統を守りながら創造するという真の改革を断行して新しい日本を切り開いてきました。私たちは、自由民主党の立党の精神に立脚し、誇るべき伝統や国家の品格を守りつつ新たな日本を創造するために自由民主党新人有志からなる「伝統と創造の会」をここに設立します。
  「和を以って貴しとなし」「万機公論に決すべし」の精神で、固定概念にとらわれることなく自由かつ活発な議論を通じて物事の本質を理解し、ひたむきな情熱をもって道義大国日本を再建し祖国の繁栄と世界の平和に寄与することをここに誓います。
 
・稲田朋美会長の「挨拶」
  (前略)戦後60年が経過し、経済大国となった日本が、直面している危機は、物質的な豊かさを追い求めることのみに専念したことにより徐々にうしなわれてきた「日本人の心」の喪失です。「日本とは何か」「日本人とは何か」「日本とはいかなる国であるべきか」を今一度再確認することが求められています。(中略)
   最後に私はこの日本という国を信じています。「日本人の心」を信じています。戦後のたった60年で、2000年以上つちかってきた「日本人の心」「日本の精神」が失われてしまうはずはないと確信しているからです。真の改革とは日本の良き伝統を守りながら創造してくこと。そのためにもこの会が「祖国愛」と「道義」を掲げた自民党結党宣言の精神に立ち戻って、ひたむきな情熱をもって道義大国日本の再建のために、勉強をする会でありつづけたいと思います。

 以上の「設立趣意書」と「挨拶」がら分かるように、生長の家の信奉者と自称する稲田朋美氏の発言の中には、神武創業の精神、明治維新、祖国愛、日本人の心、日本精神、道義大国日本など、国粋的・愛国的な用語が多用されており、生長の家の創始者・谷口雅春先生が戦前・戦中に説かれた「愛国思想」の影響を強く受けていることが判ります。
 稲田氏は、この「伝統と創造の会」の発会式における挨拶で、「この会が祖国愛と道義を掲げた自民党結党宣言の精神に立ち戻って…」と述べているが、自民党の「立党宣言」には祖国愛とか道義大国日本等という言葉はなく、「われら立党の政治理念は、第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある……」とあり、同じく昭和30年に制定された党の「綱領」は、以下の内容である。

一、わが党は、民主主義の理念を基調として諸般の制度、機構を刷新改善し、文化的民主国家の完成を期する。
一、わが党は、平和と自由を希求する人類普遍の正義に立脚して、国際関係を是正し、調整し、自主独立の完成を期する。
一、わが党は、公共の福祉を規範とし、個人の創意と企業の自由を基底とする経済の総合計画を策定実施し、民生の安定と福祉国家の完成を期する。

 また、稲田氏は靖国神社参拝問題に関連して、A級戦犯を規定する東京裁判(極東国際軍事裁判)はポツダム宣言と近代法の大原則(罪刑法定主義)に違反した国際法違反であると批判し、東京裁判は「東京茶番劇」であると述べている。さらに、2006年 8月15日に日本会議などが靖国神社において主催した集会では、神道に基づく靖国神社の国家護持を提唱し、「首相の靖国参拝を阻止しようとする忘恩の輩に道徳・教育等を語る資格はない」と発言し、靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなく、「祖国に何かあれば後に続きます…」と誓うところである、と述べている。
 また、弁護士時代には、南京虐殺の百人斬り競争に関する裁判で、朝日新聞、毎日新聞、朝日ジャーナル、本多勝一氏を相手取り、「南京虐殺事件は虚構である」と訴えて最高裁で戦っている。南京事件の真相は不明な点もあるが、1937年(昭和12年)日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際、中国軍の捕虜、南京周辺地域の市民などに対して殺傷や暴行を行ったとされる事件であ。

 これような稲田氏の発言は、先の大戦(大東亜戦争)に於ける当時の日本軍の大陸に於ける侵略的行為を正当化することに繋がり、また、そのような発言の背後には、一般国民を含む約310万人もの戦死者をだした大東亜戦争そのものを肯定する歴史観があり、稲田氏の政治思想の基礎となっていると考えられる。

 稲田朋美氏は、生長の家創始者・谷口雅春先生が戦前・戦中に軍の強烈な影響下に於いて書かれた愛国的なご文章(天皇信仰や大東亜戦争聖戦論など)のご文章を現代社会においても金科玉条とし、自らの政治的信念として把持していることが分かる。また、戦後、谷口雅春先生ご自身が政治的・愛国的なご文章を聖典から削除された意味を理解することなく、今日の社会情勢下においても、当時の先生のご文章の“一言一句”に永遠性ありとする原理主義者であり、現代の自由と平等の精神を基礎とした真の民主政治の理念を理解し得ない政治家であるといわなければならない。
 さらに、稲田氏の人間観・国家観には国のために生命を献げることに最高の価値を見出す思想信念があり、二言目には「日本の歴史・伝統・文化を守る、私は日本を守りたい。祖国のために生命を献げる…」などの言葉を唱えて国民の心を引こうとしている、極めてカルト的な国粋主義者という一面があると言わなければならない。

2.稲田朋美氏を重用する安倍総理の誤謬

 現、安倍政権は戦後の日本人が築いてきた歴史を踏まえていないと思う。国の政策を決定する場面で、現代に至るまで過去の政権がどういう議論と決定をしてきたか、そのプロセスを知る事は非常に重要な事である。しかし、安倍政権にはそういう過去の世代へのリスペクトがまったくない。例えば、現日本国憲法は、戦後、日本が米国の占領統治下におかれている中で制定されたものであり、「憲法改正は我々の悲願である」と言っている。しかし、戦後70年を経過した今日まで、現憲法の下で日本は経済的にも復興し、紛争の絶えない今日の世界情勢の中で、戦争のない(軍事力を行使しない)平和な社会を築いているという事実がある。また、戦争放棄を規定した現憲法は、大東亜戦争で310万人もの人がなくなった、その犠牲者たちに対する慰霊と義務感で作られ、過去の歴史を繰り返してはならないという多くの国民の願いと決意によって、日本国の憲法としてつづいているという側面があるのである。
 また、安倍総理は、これまで“集団的自衛権”を違憲だと唱えていた内閣法制局長官をクビにし、自分に都合の良い人物を据えている。また、先般の参議院選挙で圧勝した余勢で、防衛大臣に集団的自衛権の合法化を進めてきた稲田朋美氏を登用し、自衛隊の国軍化を計っているように感じられる。安倍総理は自分の考えに同意する政治家を登用し、反対する政治家はクビにしている。つまり、安倍総理のやり方というのは、「法による支配」ではなく、「人による支配」なのである。人による支配であっても民主的な考えをもっている“人物”ならよいが、問題はそうではない。安倍総理の背後で、愛国的な政治信念を持って政権を操っている人物がいることが、既に明らかにされているのである。
 戦後の国際社会の中にあって、日本は過去の世代が議論し築き上げてきたものへの敬意と次世代への責任をはたして行かなければならないのである。その二つを考えるなら、重要な案件はたくさんある。少子高齢化問題、原発問題、地震などへの災害対策、国の存続に影響する重要課題は山積している。きちんと過去と向かい合い、次世代につなぐ政権運営をして、自由で民主的な国家を築いて行くべきなのである。

 現在の安倍自民党政権は、戦後の民主主義の誕生と共に完全に消滅したはずの独裁的な政権運営を行っているように感じられる。今夏の参議院選挙に対して、生長の家は「与党とその候補者を支持しない」という見解を出したが、その中で、参考文献として紹介された菅野完著『日本会議の研究』を読み、その集団(日本会議)が安倍政権の背後で働き、戦後の一時期、生長の家が明治憲法復元を目指して行っていた政治活動を、現在でもつづけていることを知り、何故、安倍政権が次々と極端な国家主義的な政策を打ち出しているかという理由が明らかになりました。
 御皇室(今上陛下)でさえ「日本国憲法」を尊重し遵守されている中で、現行憲法の拡大解釈を行い、特定秘密保護法、集団的自衛権などを成立させ、更に、憲法改正の動きを加速させている動向は、当に平成の生長の家政治連合(生政連)活動そのものではないか。安倍晋三総理のプロモーターが日本会議と深い関係ある伊藤哲夫氏である事を考えると、当然のことと言えるでしょう。
 以上のことから、今日の安倍総理の思想と行動の根底をなす政治思想・国家観は、谷口雅春先生が戦前・戦中・戦後の一時期に説かれ、今日では、もはや政治的役割を終えている、日本民族の復興と明治憲法復元改正を目指した「愛国思想」であるといえるのである。

3.現代に戦前の「愛国思想」を導入する安倍政権

 昭和16年12月8日、日本は米、英との間に戦争状態に入り、大東亜戦争が勃発することとなった。谷口雅春先生は、最初、大東亜戦争を聖戦として捉えておられるのである。『生長の家50年史』第2編第6章(327頁~)には概略次のように記されている。

《果たして大東亜戦争が値打ちある戦争――聖戦だと言い得るならば大東亜戦争なるものは「のり」の戦いでなければならない。唯単に日本の国が資源のない狭い国だから必要資源を獲るためにひろがるのだと言うような、そんなモノが欲しいというような、そんな目的だったら「のり」の戦争ではないのです。そこで大東亜戦争はどういう戦争であるかと言うと「万邦をしてその所を得せしめ」と三国同盟の詔勅に仰せ給うた如く、宇宙を新しき秩序、調和あるノリの下にあらしめるための戦いなのであります。そういう風に大東亜戦争は価値実現のための戦いである。それは物質欠乏の国が物質を掻き集めるというような卑しい戦争ではないのであって、すべてのものが法則の通りに「法則(ノリ)」即ち「みことのり」の通りに、日本民族は斯くの如くあらざるべからず、東亜諸民族は斯くの如くあらざるべからずという其の内在理念の通りに実現する為に秩序の建替建直しのための戦いなのであります。(後略)》

 このように谷口雅春先生は、開戦当初大東亜戦争を“価値実現のための聖戦”と捉えられたのである。そして、生長の家は、戦時中、愛国思想を説いて言論面はもとより、軍用機献納、本部道場の献納をはじめ、家庭光明寮を軍の工場として提供し、三菱電機と提携して軍需生産にも貢献し、そして皇道大学寮を創設して青年学徒の養成を行うなどして協力したのである。戦前・戦時中におけるこうした生長の家の協力ぶりをもって、生長の家を当時の軍事政権を支援する体制側とみなし、時局便乗者とさえ決めつける論が横行したのである。

 このように、戦前から戦中にかけて、谷口雅春先生は言論面に於いて、愛国的なご文書(日本民族の戦意を高揚せしめるご文章)を発表されて国策遂行に貢献されました。しかし、あくまでも戦時中、国家総動員法(1938年・昭和13年)などが制定された当初、総力戦遂行のために、国民の戦意高揚を促すという目的で書かれたご文章であり、そのような、戦時中という日本国民にとって極限状態に置かれている状況下で書かれた政治的な意図のある文章を、世界のグローバリゼーションが進んでいる現代において、そのまま適用することはできないのである。
 日本会議とその周縁で活動している人々は、昭和初期の激動の時代に、谷口雅春先生が「今立て!」の神啓を受けられ、日本人だけでなく世界全人類の幸福と平和を願って「人類光明化運動」を発進された、その先生の真意を理解することなく、戦前・戦中に谷口雅春先生が書かれた国策貢献のための(大東亜戦争を聖戦とする)ご文章を絶対的な真理であると信奉し、また自らの政治思想のバックボーンとして活動しているのである。

 生長の家創始者・谷口雅春先生のご文章とはいえ、国策貢献の意図で書かれた政治的なご文章を絶対視することは誤謬である。また、時代の推移を考慮することなく、そのご文章に書かれている“一言一句”に永遠の真理があるとすることは宗教的「原理主義」であって正しい宗教者のとるべき姿勢ではないのである。
 にもかかわらず、谷口雅春先生が過去(戦前・戦中・戦後の一時期)に説かれたご文章を生長の家の普遍的な真理とし、また政治思想のバイブルとして、そこに永遠の国家観を見いだして「道義大国日本」実現の指標としていることは誠にも陳腐という他はなく、宗教が政治活動と関わることの弊害が現れるばかりではなく、日本をして戦前のような軍事国家への道を歩ませることになる可能性があるのである。
  以上

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2016年6月15日 (水)

菅野完著『日本会議の研究』について

1.はじめに
 2012年に第二次安倍政権が発足して以降「集団的自衛権」に関する閣議決定、「安保法制」の強行採決、「特定秘密保護法」の採択等、国民の意思を顧みない政権運営がつづいている。閣僚や自民党議員たちの自由奔放な言動も目立つ。安倍首相の靖国参拝に対してコメントを発表した米国に対しての衛藤議員の発言。改憲にあたっては、戦前の「ナチスのやり方を真似てはどうか」と発言した麻生大臣。Nihonkaigi_4
 昨年夏「安保法制」の強行採決に抗議して国会前に集まった人々は、口々に「安保法制」反対を叫び、安倍政権の退陣を訴えた。また、沖縄・広島・長崎の慰霊祭に出席する安倍首相に対して、遣族や列席者から安倍内閣を批判するヤジが飛んだ。三大慰霊祭の全てで首相を糾弾するヤジが飛ぶのは前代未聞の出来事だろう。こうした国民を無視した政権運営の背後に、日本会議の存在があったことを知る人は少なかったと思う。今回の『日本会議の研究』の発刊は、このような安倍政権の実体を白日の下にさらすことになったと思 う。
 
2.日本会議とは、民間の保守団体であり、同団体のサイトによれば「全国に草の根ネットワークを持つ国民運動団体」ということだが、その内実は、かつて生長の家の政治運動を先導していた運動家たちのGROUPである。1970年を前後して、生長の家の運動は政治活動に重点がおかれ、生長の家政治連合(生政連)が結成されて、本部には政治局が置かれていた。その当初には、玉置和郎・村上正邦といった国会議員を排出し、総裁選挙にも影響を及ぼすほどの勢力となったのである。
 生長の家創始者の谷口雅春先生は、戦時下では皇軍必勝を唱え、戦後も天皇が日本国と世界の精神的中心であるという「天皇信仰」を説かれて、愛国運動を推進された。そのような中で、政治結社・全国精神主義連盟、生長の家選挙対策委員会などが設置され、社会活動・政治活動が行われていくことになる。そして、1960年代に入り政治運動を活発化させ、1964年に生長の家政治連合(生政連)が発足したのである。
 
3.生長の家政治連合(生政連)の目的は、「聖典『生命の実相』の精神を日本国民全てに浸透せしめ、唯神実相哲学の原理を政治面に実現し、もって政界を浄化し、唯物論的世界観を克服した真の日本建設と人類光明化に貢献する」というものであった。
 さらに、1966年に「生長の家学生会全国総連合」(生学連)が結成され、大日本帝国憲法(明治憲法)復元改正をめざして運動を展開し、1967年にはカトリック系の諸団体などとともに「優生保護法改廃期成同盟」(母と胎児のいのちを守る会)を、1969年には「自主憲法制定国民会議」が結成されている。その他、1969年に結成され、反共学園闘争を展開した全国学生自治体連絡協議会(全国学協)にも生学連の関係者が関わっていたのである。
 これらの運動を直接・間接的に先頭していた者が本書『日本会議の研究』で実名で紹介されている、元生政連活動の幹部であり、学生運動の指導者であった安東巖氏をはじめ、椛島氏、高橋氏、伊藤氏等の日本会議とその周辺の人々である。
 
4.今日の日本会議(内実:日本青年協議会)の陣容は生政連活動最盛期に比べ、その規模も小さく、統一性にも欠けているだろう。しかし、当時の政治活動(愛国運動)を現在まで継続してきた日本会議とその周辺の人々の長年の熱意は、単に原理主義者の愚行といって看過すべきものではないと思う。『日本会議の研究』に紹介されているように、70年安保闘争の渦中で愛国運動を開始した、安東氏、椛島氏、高橋氏、伊藤氏といった生長の家の信仰者でもあった人々が、今日、安倍政権の中枢部にあって政策ブレーンとなり、日本の国政を左右する憲法改正という彼らの悲願達成に向けて活動しているからである。
 例えば、「緊急事態条項」や「家族保護条項」の追加、「自衛隊の国軍化」等に見られるように、おおよそ自由で民主的と呼べるような法律ではない改憲案を打ち出しているのであるが、そのような改憲プランの背後に、彼らの目指す「明治憲法復元」の意図があることを、この著書『日本会議の研究』は明らかにしているのである。
5.『日本会議の研究』を読んで(感想)
 以前は、私達と同じ生長の家の信仰をもち、戦後の生政連活動、学生運動の指導者であった人々が、現在までも、創始者・谷口雅春先生が戦中戦後、皇軍必勝と日本民族の復興を願って説かれた天皇信仰にもとづく「愛国運動」を継続し、現在、安倍政権を裏で操作しているのであれば、生長の家の信仰者として、我々は日本会議の方針が、日本と世界人類の平和を願って“人類光明化運動”を発進された谷口雅春先生の意図に反するものであり、現代の民主主義・自由主義の精神とも相反するものであることを明確にしていかなければならないと思う。
 自由と民主主義を守り、宗教や民族の違い、さらに経済的問題などで争うことのない、本当の意味で世界平和を実現するためには、日本会議(椛島氏、伊藤氏)などに操られている現安倍政権と政府自民党を、このまま政権与党の位置に留めておくことはできないと感ずるのは私だけではないだろう。来る参議院選挙では、政府自民党-安倍政権-の誤謬を正すことのできる野党の誕生(与野党二党体制)を実現するために、我々は宗教者としてできることを具体的に実行していかなければならないと考える。

 

 

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2016年1月22日 (金)

大寒の“みそぎ”

 昨日(1/21 木曜)は二十四節気の一つ、大寒。大寒の朝は、恒例の“みそぎ”です。我が国では、大晦日や新年早々 “みそぎ(水ごり)”を行い、心身を清浄にするという習わしがありました。大寒の朝でも、やってみると意外に暖かいものです。 “みそぎ”の後の “ぜんざい”は最高ですね!!

 大寒の 朝に浄まる “水ごり”の  後にいただく “ぜんざい”美味し~

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2016年1月15日 (金)

平成27年度(2015年度)「生活の記録表」

我が家では、平成20年(2008年)から「生活の記録表」を付けています。

 今回の「生活の記録表」は、昨年(平成27年・2015年)の年間集計です。昨年は、その前年(2014年)に比較すると電気使用量と水道使用量が増加し……電気使用量<+567.5kwh>、水道使用量<+3㎥>と増加しています。しかし、都市ガスと灯油を使用していないため、都市ガス使用量<-192㎥>、灯油使用量<-167ℓ>と減少しています。また、不断の生活で“ガソリン車”を使わず、もっぱら電気自動車(i-MiEV)に乗り、買い物などは自転車(電動自転車)などを使用しているため、ガソリン使用量が<-341ℓ>と、大幅に減少しています。これらを、CO2の排出量に換算すると、全体で<-1,077.4kg>の減少となっています。

 我が家は、生長の家本部が“森の中のオフィス(ゼロエネルギービル)” へ移転したことにともない、昨年4月初旬、東京府中市の瑞光寮から、太陽光発電設備の完備した生長の家長坂高松寮(オール電化の寮)に引っ越しました。
 このことが、昨年(平成27年度)のCO2排出量の減少になっていると思います。特に、我が家では電気自動車(i-MiEV)を購入し、日常生活で使用していることにより「ガソリン車」を使うことが少なくなったことと、買い物などは極力「自転車」を使用し、地元で食品を購入(地産地消)していることが、
CO2排出量減少の原因となっていると思います。

 このように、全体のCO2排出量は大幅に減少していますが、電気・水道の使用量だけは増加しています。これは、生長の家長坂寮がオール電化のため、調理や入浴(風呂)をはじめ、車の充電、暖房(ペレットストーブ・エアコン)、照明等すべてに電気を使用しているためです。しかし、生長の家長坂寮は炭素ゼロをめざして「太陽光発電」によるクリーンエネルギーを使用しており、「太陽光発電」からの電力使用量は全体の約40%(月平均)を占めているため、実際の電気使用によるCO2排出量は、記載した数値よりも約40%少なくなっていると考えられます。(記録表の電気のCO2排出量については、太陽光発電分も含めて、記録表に記載されている係数で計算しています。)

※我が家の昨年(平成27年・2015年)のCO2排出量は、3,693.9kgと 国内の世帯平均排出量(5,270kg)を大きく下まわりましたが、この数値に満足することなく、今年(2016年)のCO2排出量は、3,500kg以下を目標に(炭素ゼロを目指し)“自然と共に伸びる生活”を実行していきたいと思っています。

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2016年1月 1日 (金)

新年のお慶びを申し上げます。

新年のお慶びを申し上げます。
 平成28年の元旦を迎え、生長の家人類光明化運動・国際平和信仰運動が益々伸展しますことを神様にお祈りするとともに、皆様とともに、心を一つにして新年度の運動に挺身させて頂くことが出来ますことを、心より感謝申し上げます。
 今年も、神・自然・人間の大調和の実現をめざし、日々日時計主義の生活を励行しながら、“自然と共に伸びる運動”を明るく楽しく推進していきたいと思います。本年もよろしくお願い申し上げます。

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2015年12月19日 (土)

平成19年(6年前)正月の家族写真

  平成19年12月(6年前)の正月、府中の自宅(瑞光寮)で撮影した家族写真です。私(父)は、少しは若く見えるでしょうか?

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